川島雄三 (1918-1963)
映画青年として学生時代を過ごした川島雄三は1938年に松竹大船撮影所に入社。監督昇進試験でトップの成績で監督に抜擢され、1944年に『還って来た男』で監督デビューする。「日本軽佻派」を名乗り『シミキンのオオ!市民諸君』(1948)などのナンセンス・コメディを発表する一方、撮影所を諷刺する小新聞「泥馬クラブ」を発行して好評を得る。1955年に日活へ移籍にしてからさらにその才能が開花し、腐れ縁の男女の情念を描いたメロドラマ『洲崎パラダイス 赤信号』(1956)、古典落語を題材にしたコメディ『幕末太陽傳』(1957)など、多彩な作風で様々なジャンルの名作を残す。1957年に東宝傘下の東京映画に移籍。傍らに大映でも『女は二度生まれる』(1961)などの若尾文子主演の3作品を監督する。「積極的逃避」というテーマを通して世の中の権威や偽善に抗い、美しさと醜さの境界を取り払った川島の作品群は今もなお色褪せない独特な輝きを放っている。
(執筆:具 珉婀)
(執筆:具 珉婀)