Samba garasu sandaiki
三羽烏三代記
- 公開日
- 1959年10月30日
- 上映時間
- 102 分
- ジャンル
- 劇映画
- カラー
- -
- 上映フォーマット
- -
【監督】
【キャスト】
【スタッフ】
【製作会社】
松竹
【配給会社(国内)】
松竹
【解説】
松竹映画三千本記念映画。椎名利夫と富田義朗の共同脚本を、番匠義彰が監督し、生方敏夫が撮影を担当。
大日本探偵社社員、南条康介は仕事に追われて、恋人の草野綾子とデートも出来ないのを嘆いていた。綾子は康介の下宿先、古い暖簾を誇る浅草の煎餅屋「入河」の看板娘であった。「入河」は綾子の姉秀子の実権下にあり、夫の雄之助は康介にこの家に代々続く婿養子の宿命を説いて慰めた。安月給の康介は秀子に反対されて綾子と結婚出来なかった。お茶漬や「ひさご」では大学教授の土屋信行と大日本探偵社社長赤沢俊哉が飲んでいた。「ひさご」のマダムは昔土屋とロマンスを語った伊丹夏代である。店の奥では新聞記者の辰巳次郎が飲んでいた。テレビ・プロデューサーの恋人小池さわ子はいくら待っても現われなかった。いつもデートをすっぽかすのはリハーサルのためだった。康介や次郎と仲間の高見明は登山を生きがいとする山男だった。妻の弓枝は勿論大いに不満であった。高見家の下宿人、城山茂夫は音楽学校の生徒である。今夜はグループが集った。「ひさご」の一人娘百合子、土屋の一人息子信彦、パン屋の娘八坂いづみ等である。その頃「入河」では夜業で康介が煎餅用の粉をひいて点数を稼いでいた。そこへ雄之助が長崎から家出した宗方秋子という少女を連れて来た。「入河」で女中代わりに使うことになった。翌朝、康介が出勤すると探偵社は大騒ぎだった。三十万の賞金つきで依頼主の名も素性もいえぬ一人の少女をみつけるという仕事が康介を待っていた。新聞社に次郎を訪ねて共同戦線をはった康介は、まず家出娘をさがせという次郎の言葉にはっとした。さがすべき少女は昨夜の宗方秋子だった。
【映連データベースの作品紹介ページより】
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