溝口健二 (1898-1956)
1923年の監督デビュー以来研鑽を積み、日本映画にリアリズムを確立したとされる『祇園の姉妹』(1936)など名篇を連発する。戦後は、念願の企画『西鶴一代女』(1952)が第13回ヴェネツィア国際映画祭で国際賞を受賞。古典文学に材を得た『雨月物語』(1953)、『山椒大夫』(1954)と傑作が続き、仏のヌーヴェル・ヴァーグをはじめ西洋が日本映画を〈発見〉する契機を作るが、その矢先に白血病で死去。遺作は『赤線地帯』(1956)だった。女性映画や時代劇の巨匠といった印象を抱かれがちだが、手がけたジャンルは幅広く、教育映画、活劇、愛国主義的な映画、民主主義や、女性の社会進出を謳う映画などが挙げられる。同様に、日活、松竹、新東宝、大映など複数の撮影所を股に掛けた。他方、異なる製作環境であっても、人間への鋭利な観察眼、妥協を許さぬ演出姿勢、大胆で繊細なキャメラワークは一貫しており、スタッフ、キャスト双方から最良の技芸を引き出すことを得意とした。
(執筆:星 遼太朗/参考文献:国立映画アーカイブ企画上映プログラム)
(執筆:星 遼太朗/参考文献:国立映画アーカイブ企画上映プログラム)