現代の20代・30代の映画作家たちの眼差しを通して描かれる日本社会の「今」
2024年11月1日、東京国際映画祭のNippon Cinema Now部門に選出された監督たちによるトークセッション「私たちの映画の作り方」において、登壇していたカンヌ映画祭代表補佐兼映画部門のディレクター、クリスチャン・ジュンヌは数年前から日本映画界の若手監督たちの輪郭が露わになり「何かが起こりだしている」と前向きな手ごたえを口にした。その言葉を受け、東京国際映画祭の市山尚三プログラミング・ディレクターから濱口竜介監督以降の日本映画界の顔としては白石和彌、奥山大史、五十嵐耕平、山中瑤子、空音央の名前があがった。特に2024年度の国際映画祭で鮮やかな印象を残したのは1990年生まれの若い世代だ。
筆頭が第77回カンヌ映画祭の監督週間部門でセレクトされ、国際映画批評家連盟賞を受賞した『ナミビアの砂漠』の山中瑤子監督(1997年生まれ)で、主演の河合優実共々、国内での映画賞でも高い評価を受けた。特筆すべきは河合の躍動する肉体を強調しながら、2人の男性との交際の中で閉塞感を募らせる若い女性の心象風景を鮮やかに切り取ったこと。自分を取り巻く状況への閉塞感は、同じくカンヌに選出された奥山大史監督(1996年生まれ)の『ぼくのお日さま』や、ベネチア国際映画祭オリゾンティ・コンペティション部門に選出の空音央監督(1991年生まれ)の『HAPPYEND』、ブエノスアイレス州国際映画祭の長編コンペティション部門に正式出品草場尚也監督(1991年生まれ)の『雪子 a.k.a』にも通底する。奇しくも、この3作品は子どもと先生の関係性を描いたもので、日本社会の窮屈さの根は何なのかを模索した内容であった。
また、第53回ロッテルダム国際映画祭のBright Future部門に選出された松林麗監督(1993年生まれ)の『ブルーイマジン』は日本映画界での性被害を追った内容で、#metooの流れが生まれた年でもある。
1980年代生まれの世代は、より今の世相を鋭く見据え、新しい人間関係を提示してみせた。
第74回ベルリン国際映画祭フォーラム部門に正式出品された三宅唱監督(1984年生まれ)の『夜明けのすべて』は月に1度のPMS(月経前症候群)で感情をコントロールできない女性と、パニック障害になった男性との職場のフレンドシップを主軸としていて、なぜこのようなことがおきるのか説明のつかない状況を緩やかに受容していくまでの、心の折り合いを描いている。ベネチアのヴェニス・デイズ部門のオープニングに選ばれ、第51回ゲント国際映画祭と第21回レイキャビク映画祭のnewvision部門でそれぞれグランプリを受賞した五十嵐耕平監督(1983年生まれ)の『SUPER HAPPY FOREVER』はたった5年の月日の流れで自分の日常の底が抜ける不安定さと愛する人の不在を描き、おそらくこれはコロナ禍や世界で突如起こる紛争、政治の激変などに晒されている多くの観客に共通する気分をうまく抽出したものと言えるだろう。
さらに、2024年度は第97回アカデミー賞の長編ドキュメンタリー部門に伊藤詩織監督(1989年生まれ)の『Black Box Diaries』が、短編ドキュメンタリー部門では山崎エマ監督(1989年生まれ)の『INSTRUMENTS OF A BEATING HEART』(『小学校~それは小さい社会~』の短編版)もノミネートを果たした。前作はテレビ局員から性被害にあった伊藤監督が起訴を求めるにあたって相手の社会的な地位や司法制度の壁などで様々な困難にぶつかる日々を撮り続けたもの。山崎監督の短編は、小学校という教育を受ける場で、学校を円滑に運営する構成員の一人として6歳のときから行事を通して様々な役割とミッションが与えられ、こなしていかなくてはいけない姿が記録されている。集団から外れて個の尊厳を通そうとする難しさの源流がどちらの作品でも見受けられ、現在の20代、30代の作家たちのそれぞれの眼差しを通し、日本社会という見えない空気の輪郭がカメラとフレームを通すことで露わになっていくのが面白く、頼もしい。





