篠田正浩 (1931-)
1953年に松竹大船に入社。監督第2作『乾いた湖』(1960)で「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」の旗手として大島渚、吉田喜重とともに一躍有名に。その後も劇作家・寺山修司や作曲家・武満徹らと協働して新たな映画表現の可能性を探り、時代劇の『暗殺』(1964)では『市民ケーン』(オーソン・ウェルズ監督、1941)を思わせる物語形式や、ストップモーションの使用など実験的な演出を見せた。翌年に松竹を退社。「表現社」を設立し、さらに新しい表現を追求。江戸時代を代表する劇作家、近松門左衛門の浄瑠璃を実験的な演出で映画化した『心中天網島』(1969)や、スーパー戦隊シリーズでも有名な特撮監督、矢島信男が参加した『夜叉ヶ池』(1979)などが、今も世界的に注目を集めている。その後も『瀬戸内少年野球団』(1984)などヒット作を監督する一方、『鑓の権三』(1986)でベルリン国際映画祭銀熊賞に輝くなど、2003年の引退まで枠にとらわれない活躍を見せた。
(国立映画アーカイブ企画上映プログラムより/構成:玉田 健太)
(国立映画アーカイブ企画上映プログラムより/構成:玉田 健太)