小津安二郎 (1903-1963)
1903年12月12日、東京に生まれる。旧制中学在学中に見た『シヴィリゼーション』(トーマス・H・インス監督、日本公開1917)に感銘を受け映画監督を志す。1923年、撮影部助手として松竹蒲田撮影所に入社し、1927年の『懺悔の刃』で監督デビュー。1932年から1934年にかけて手がけた映画のうち『生れてはみたけれど』『出来ごころ』『浮草物語』の3本が日本の映画雑誌「キネマ旬報」のベストテンで3年連続第1位入賞を果たし、一躍第一線に躍り出る。以降も、家族の日常や人生の悲哀を細部まで統御された映像表現を通してフィルムに刻み続けた。1963年、還暦を迎えた誕生日に死去。没後もその声価は衰えるところを知らず、2012年には英「サイト&サウンド」誌による10年に1度の「史上最高の映画ベスト100」で『東京物語』(1953)が映画監督選出部門第1位・批評家選出部門第3位に選ばれたことを筆頭に、世界映画史に大書されるシネアストとしての影響力はいや増すばかりである。
(執筆:藤原 征生/参考文献:国立映画アーカイブ企画上映プログラム)
(執筆:藤原 征生/参考文献:国立映画アーカイブ企画上映プログラム)