監督・田中絹代の“再評価”により着目されつつある、日本映画を作った女性たちの存在
日本映画史における女性映画人たちを顧みることは、女性のエンパワーメントという現代的観点からも意義深い。映画界の男女格差は日本では特に根深い問題であり、2022年時点で女性監督の比率は11%※ に留まっているからだ。
2021年にカンヌ映画祭クラシック部門での上映にあたり「なぜ今まで田中絹代監督作品が取り上げられてこなかったのか、非常に不思議に思う」と評され、監督としての田中絹代が国際的に“発見”されたように、長らく日本において女性監督は看過されがちだった。
溝口健二や小津安二郎らの作品に出演した日本の代表的女優・田中絹代は、1953年から1962年に6本を監督したが、戦後の映画黄金期の中で佐分利信らの俳優兼業監督という潮流が評価されていたことが監督進出の背景にあった点は興味深い。というのは、田中は日本での女性監督の第2号とされ、それ以前には、1936年に坂根田鶴子が溝口健二の助手から監督昇進を果たした時まで遡るほど、日本では女性が劇映画を監督する機会に恵まれなかった。
実際、日本初の女性監督である坂根は第1作『初姿』の不評により劇映画を撮り続けることは叶わなかった。しかし、自己決定を重んじる現代的な女性像を打ち出した同年の溝口作品『浪華悲歌』で坂根が手がけた編集からは非凡なセンスと高度な技量がうかがえ、『初姿』の現存が確認されていないゆえ再評価する術がないことが残念だ。
このように、1960年代以前に劇映画を監督した女性は2名のみという事実は、現状の映画界のジェンダー・ギャップの根底を示しているが、改めて監督以外にも目を向けると、映画作りを志した多くの女性たちが様々な職域で活躍していた。監督助手として位置づけられるスクリプターを主に女性が担ったのはハリウッドに倣ってのことだが、脚本家やプロデューサーをはじめとして、美術、編集、衣裳デザイン、ヘアメイクといった領域に数多くの女性が携わっている。言ってみれば、女性映画人たちが手腕を振った成果に着目して日本映画史上の傑作群を読み直すこともできるのだ。
例えば、女性脚本家は無声映画期から時代劇と現代劇の双方で活躍したが、戦後に隆盛した文芸映画では田中澄江と水木洋子が名高い。田中澄江は、成瀬巳喜男作品(『めし』(1951年)、『稲妻』(1952年)ほか)や田中絹代作品(『乳房よ永遠なれ』(1955年)など)のように、家庭に違和感を抱いた女性の葛藤をも描いた。『浮雲』(1955年)を筆頭に同じく成瀬作品の脚本家として著名な水木洋子は、一方で『キクとイサム』(1959年)といった今井正監督作では社会的マイノリティについても取り上げた。他にも同時代の和田夏十は、夫である市川崑の脚本を専ら手がけ、『ビルマの竪琴』(1956年)や『炎上』(1958年)といった文学からの翻案に才能を発揮した。
プロデューサーでは、水の江滝子の功績も大きい。戦前に少女歌劇の男装スターとして人気を博した水の江は、戦後に芸能活動から引退後、1954年に製作再開した日活と契約して、大手映画会社初の女性プロデューサーとなった。ショー・ビジネスに熟練した水の江は、中平康を抜擢して『狂った果実』(1956年)を撮らせ、自ら見出した石原裕次郎をスターダムに押し上げたことをはじめ、監督やスターを次々に育て上げ、ヒットメーカーとして76作品を送り出した。
他方、それらの大手映画会社での動向とは別に、ドキュメンタリーの分野が1960年代以前に女性作家たちの活路となっていた。中でも重要な作家である時枝俊江は、羽田澄子と並んで岩波映画製作所で活躍して幅広い題材で100本以上を手がけ、ライフワークとして自主性を尊重する幼児教育をめぐる作品群に取り組んだ。現場音声を画と同等に捉えるという発想のもと、ダイレクト・シネマ的アプローチも試みながらナレーションの機能を探究して革新を打ち出した。
そして、1970年代には、独立プロ製作の活況を背景に、自らプロダクションを興し、自身の製作により監督する女性たちも登場した。女優出身の宮城まり子と左幸子もその好例で、撮影所体制の中で依頼を受けて監督した田中絹代とは一線を画している。作風についても、文芸映画の枠組みで女性の生き方を描いた田中とは異なり、宮城と左はそれぞれに社会運動に根差した主題を扱い、ドキュメンタリー的傾向が特徴的だ。宮城は自ら設立した肢体不自由児のための養護施設での子どもたちの日常を捉えた映像詩的ドキュメンタリー『ねむの木の詩』(1974年)を皮切りに連作4本を発表し、社会的反響を呼んだ。左は『遠い一本の道』(1977年)で、合理化に翻弄される鉄道保線員を主人公とした劇映画にドキュ・ドラマ的手法を交え、高く評価された。さらに、今こそ発見されるべき知られざる作家として、ドキュメンタリー演出の仕事に従事しながら自主製作を展開した鵞樹丸は、『わらじ片っぽ』(1976年)において女性の自由と抑圧をテーマに現代と過去を交錯させて前衛的表現を開拓した。
田中絹代監督作の再評価により日本の女性映画人の歴史への新たな視座が拓かれつつあるが、まだまだ多くの、日本映画を作った女性たちが発見される時を待っている。