「映画の魔法」に満ちた森田芳光作品――その根源にある時代の流れを鋭敏に感じ取るセンス
「ドゥ・ユー・ビリーブ・イン・マジック?」(魔法を信じるかい?)
森田芳光監督が、角川アイドルとして人気絶頂期にあった薬師丸ひろ子を主演に撮った愛すべき青春恋愛映画『メイン・テーマ』(1984年)を久しぶりに見ていたら、作品とは何のゆかりもない古い歌のフレーズが頭の中を勝手に回り始めた。
薬師丸の相手役、野村宏伸が見習いマジシャンであることが呼び水になったわけだけれど、思えば、森田作品はそもそも映画の魔法に満ちている。夢みたいなのにリアル。かつて「才気走った」と形容された、実験精神に富んだ映像が作品テーマや登場人物の心情としかと絡んで、映画の強度を高めている。
『メイン・テーマ』の主な登場人物はみな、自分の欲望がちゃんとある。要するに人間の芯はリアルなのだが、それをむき出しで見せたりはしていない。キャラクターに合った服を着せるのと同じように、ぴったりの映像、音、場面を、まとわせてある。ハイライトの一つが、モーテル前の大渋滞の周囲で繰り広げられるお祭り騒ぎ。その混沌とした高揚感は、車の助手席にじっと座っているヒロインの脳内風景か。不思議と心が浮き立ち、心が躍る。そして、いつの間にか監督の魔法にかかってしまう。
その魔法の根源にあるのは森田監督のセンス。映像センス、音楽センス、本当にかっこいいもの、面白いものをつかまえるセンス……。いろいろあるが、忘れてはならないのは、時代の流れを鋭敏に感じ取るセンスだ。
8ミリで撮った自主映画、そして劇場用長編デビュー作『の・ようなもの』(1981年)以来、森田監督のフィルモグラフィーは日本人の年代記でもある。時代ごとにうつろう気分を、流行、文化、街の雰囲気を、こんなにも確かにとらえ続けた監督がほかにいるだろうか。『メイン・テーマ』について写真家・篠山紀信は、「この映画は青春そのものです」「この時は、日本が青春そのものだった」と三沢和子プロデューサーに言ったそうだ(「森田芳光全映画」編著:宇多丸・三沢和子/リトルモアブックス)。まさにいい得て妙。このころの日本人は、ヒロイン同様、無邪気に、もっともっと「大人」になることを夢見ていた。
この後、森田監督は、傑作『それから』(1985年)、爛熟の『そろばんずく』(1986年)、破綻の予感漂う『悲しい色やねん』(1988年)と作品を重ね、そして『愛と平成の色男』(1989年)を撮る。
『愛と平成の色男』で、石田純一演じる主人公のプレイボーイがとことんスタイリッシュな世界で繰り広げる恋愛は、何の生産性もない、軽い、軽いもの。そんな豊かさの中の空虚は、バブル末期という時代の肖像のようでもある。大上段に構えずして、そうしたものを映してしまうのが森田監督なのだと思う。同作の数か月後に公開された『キッチン』(1989年)では一転、日本の若者の価値観の転換を先取りしてみせたのが、またすごい。
その後も一歩先んじて、時代の気分をつかまえてきた監督は、今だったら何を撮るのか。そんなふうに思う人は決して少なくないだろう。