戦後の独立プロダクションの変遷 - JFDB Column #13

メジャーから“独立”し、新たな映画製作システムを模索した戦後の歩み

敗戦後、占領下におけるGHQの慫慂によって、各映画会社に労働組合が結成される。その中で最も激しい労働争議が展開されたのが東宝だった。「来なかったのは軍艦だけ」と言われたほどに苛烈を極めた1948年の東宝争議は、組合幹部の退社をもって、終結に向かう。これを機縁として、独立プロが次々と発足し、“運動”としての相貌を示すことになる。

暴力団、警察、検察の組織ぐるみの不正義を告発する映画『ペン偽らず 暴力の街』(監督:山本薩夫、1950年)が、実際に事件が進行中の場所で撮影されたように、当時の独立プロ運動は、アクチュアルな社会問題に参与していこうとする傾向をもっていた。そこでは、貧困、労働搾取、差別、原爆被害、冤罪といった、既存の映画会社では取り扱われにくいテーマが果敢に選択されていった。東宝争議終結後、ハリウッドと同様に、レッド・パージが日本でも猛威をふるったが、その際に各映画会社から放逐された多くの日本共産党員およびシンパたちが、独立プロの結成や映画製作に関わったことも、そうした作品傾向に寄与していよう。

しかし、民主主義的企画を実現しようとする独立プロ運動は、製作・配給・興行が統合された、当時の流通体制のもとでは、自分たちの映画を上映する映画館を十分に確保できず、その経済的基盤は極めて脆弱であった。そのため、この運動は50年代半ばには下火になってしまう。多くの監督が再び既存の映画会社との仕事に復帰する一方、この運動を支えてきた独立プロの一つである近代映画協会は、屋台骨の新藤兼人がメジャー作品の脚本を大量に手がけることで、新藤の作品を自主製作する体制を維持し続けた。

その傍ら、50年代には、戦後の経済復興の進展を背景に、教育映画や企業PR映画の市場が活況を呈するようになり、日本の記録映画史に名を刻む羽仁進、土本典昭、羽田澄子らを輩出した岩波映画製作所を筆頭に、教育・PR映画製作会社が陸続と誕生する。これらの会社に入社した若者たちが、広い意味でのドキュメンタリーの分野で、カメラによる「記録」という行為を理論的に問い直しつつ、その可能性を探求すべく、先鋭的、実験的な映画表現を試みていく。その試みは、同時期に胎動する日本のヌーヴェル・ヴァーグの作家たちに、思想的にも、創作的にも大きな刺激を与えた。そうした作家の一人である大島渚は、戦後の学生運動の行動倫理を厳しく問うた『日本の夜と霧』(1960年)の上映打ち切り事件を機に、所属していた松竹を退社し、自らの仲間とともに創造社を結成する。大島はこの創造社を根城に、映画だけでなくテレビにも活動の幅を広げ、つねに論争的な作品を生み出していった。大島とともに「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」と呼ばれた吉田喜重、篠田正浩もまた、のちに松竹を離れ、自らのプロダクションを設立した。

観客数の激減に伴ってメジャー各社の経営悪化が顕在化してきた60年代後半から70年代はじめには、吉田や篠田と同様に、今村昌平、中平康、岡本喜八、増村保造などメジャー各社の中心で活躍していた監督たちも独立プロでの映画製作に挑んでいくようになる。これらの独立プロ作品の製作・興行を支えたのが、日本アート・シアター・ギルド(ATG)だった。1961年、全国に10館を擁する配給・興行会社として設立されたATGは、同時代のヨーロッパ映画、戦時に未公開だったアメリカ映画などを紹介し、芸術映画上映の拠点になっていく。やがて、ATGは、製作費を独立プロと折半するという形で映画製作にも手を広げ、この枠組みの中から、死刑制度の是非をめぐって鋭い問いを観客に投げかける『絞死刑』(監督:大島渚、1968年)や、戦争の不条理を痛烈に暴き出した『肉弾』(監督:岡本喜八、1968年)といった作品が生まれた。以降、このATGでの興行を出口に、映画界のみならず、演劇界やテレビ界からも、自らの独立プロで映画製作を試みる流れがつくられた。

70年代に入ると、撮影所システムが崩壊し、東宝や松竹といったメジャーの映画会社は配給業務に注力するようになる。この時期には、黒澤明のような巨匠でさえ、国内で映画をつくることができず、創造社を解散させた大島渚はハードコアポルノ『愛のコリーダ』(1976年)以降、海外のプロダクションとの仕事を続けていく。その一方で、出版社である角川書店が映画製作に乗り出し、既存のメジャーの配給に依りながら、テレビでの大量宣伝を生かして、映画、原作小説、主題歌を一体的に売り出していくことに成功する。角川書店も出発点では、いわば“独立プロ”だったことを考えると、ここではすでに、製作体制として、メジャーから“独立”していることが実質的な意味を持たなくなったと言えよう。日本映画の製作環境において、あえて製作会社を“独立プロ”と呼ぶこともなくなった時代が到来したのである。

川村健一郎(かわむら けんいちろう)
川村健一郎(かわむら けんいちろう)
立命館大学映像学部教授。1995年から川崎市市民ミュージアム映画部門に勤務。独立プロを中心としたフィルムの収集や、岩波映画、今村昌平、松本俊夫などの特集上映の企画運営を手がける。2007年から立命館大学映像学部で教員を務める。論文に、「大島渚とヴェトナム」(奥村賢編『映画と戦争』、森話社、2009年)など。

山中常盤─牛若丸と常盤御前 母と子の物語─

山中常盤─牛若丸と常盤御前 母と子の物語─ (2004)

  • ドキュメンタリー
監督
羽田澄子
キャスト
片岡京子
痴呆性老人の世界

痴呆性老人の世界 (1985)

  • ドキュメンタリー
監督
羽田澄子
キャスト
楢山節考 

楢山節考  (1983)

  • 劇映画
監督
今村昌平
キャスト
緒形拳, 坂本スミ子, あき竹城
にっぽん戦後史 マダムおんぼろの生活

にっぽん戦後史 マダムおんぼろの生活 (1970)

  • ドキュメンタリー
監督
今村昌平
キャスト
赤座たみ, 赤座悦子, 赤座あけみ
少年

少年 (1969)

  • 劇映画
監督
大島渚
キャスト
阿部哲夫, 渡辺文雄, 小山明子
新宿泥棒日記

新宿泥棒日記 (1969)

  • 劇映画
監督
大島渚
キャスト
横尾忠則, 横山リエ, 唐十郎
乾いた花 

乾いた花  (1964)

  • 劇映画
監督
篠田正浩
キャスト
池部良, 加賀まりこ, 藤木孝
砂の上の植物群

砂の上の植物群 (1964)

  • 劇映画
監督
中平康
キャスト
仲谷昇, 稲野和子, 西尾三枝子
卍

(1964)

  • 劇映画
監督
増村保造
キャスト
若尾文子, 岸田今日子, 川津祐介
江分利満氏の優雅な生活

江分利満氏の優雅な生活 (1963)

  • 劇映画
監督
岡本喜八
キャスト
小林桂樹, 新珠三千代, 矢内茂
夕陽に赤い俺の顔

夕陽に赤い俺の顔 (1961)

  • 劇映画
監督
篠田正浩
キャスト
川津祐介, 岩下志麻, 炎加世子
暗黒街の対決 

暗黒街の対決  (1960)

  • 劇映画
監督
岡本喜八
キャスト
三船敏郎, 鶴田浩二, 司葉子
青空娘

青空娘 (1957)

  • 劇映画
監督
増村保造
キャスト
若尾文子, 川崎敬三, 菅原謙二
狂った果実

狂った果実 (1956)

  • 劇映画
監督
中平康
キャスト
石原裕次郎, 津川雅彦, 北原三枝